2015/07/30

思考回路

仕事についての考え方などは、普段はあまり書かないことにしています。
しかし、今朝知った話はどうしても無視できなかったので、
備忘録的な意味も込めて、長くなりますが書こうと思いました。

盛岡市が、“盛岡ブランドポスター総選挙”なる企画を公表しています。
“盛岡ブランド”なるものを周知徹底すべく100種類のポスターをつくり、
それの人気投票をする、という趣旨の企画だそうです。
この時点でもう『なんだそりゃ』ですが、内容もいろいろと酷い。
(使われてる写真自体が良い悪い、という意味ではありません、念のため。)

地元の人たちとつながりを感じられない、盛岡に対する愛情が感じられない、
すでに1万5千枚も刷られて配られているという押しつけがましい段取りが酷い、
などなど、web上で話題になっている問題点には、私も同感です。
いまさら同じ意見を言ってもアレなので、この記事ではデザインについて考えるための
反面教師として、話題に上げたいと思いました。

私がこれを知ったのは、今朝Twitterチェックをしていた時でした。

その情報元の方は、ヘタにアクセス数が増えると注目されたという
結果を出したかのように当事者に勘違いされそうだ、と
いったようなことをお書きでした。
私も同じ気持ちなので、リンクを貼りません。気になる方は検索かけてみてください。

どの辺が酷いか、の前に、まず先に断っておきたいのですが、
ポスター1枚1枚の技術的なレベルの低さを取り上げたいわけではありません。
100枚もあるのにほとんど似たり寄ったりの思考で作られていて、
比較しても差異を感じないわけですが、問題はそこではない。
(いや、そこも問題なんだけど、核心はそこではない。)
それから最初にも書いたとおり、写真の質自体には言及しません。

じゃあ何が問題なのか。


まず、写真が撮り下ろしでないのがすごく気になりました。
別件で見覚えのある、このために撮ったとは思えない風景画像。

5分ほど軽く調べて私にわかる範囲で、8枚が画像素材サイトの素材を使用。
6枚は、県観光協会など他機関の公開画像。
ほか、画像検索をしたら少なくとも9枚はどなたかのブログなどから借用。
たった5分の確認で、です。

画像借用のものは、すみっこに画像提供者のお名前が書いてあり、
ということは、いくらなんでも許諾とったのだな、と思っていたら、
先ほど(7/30の16時頃)画像の持ち主の方が無断借用に気づいた、と
新事実が判明…
他にも無断使用があるとまで決めつける気持ちはありませんが。
(と書いてる間にも、削除されたポスターがあるようです。まったくもう…)

こうやって無断借用したりweb上の素材を使ってまで100種類を揃えた事業の、
意義が、必要性が、意志が、まったく理解できない。

“総選挙”という言葉の位置づけも、某アイドルグループにあやかっているのでしょうが、
あの商法が旬なのかどうか、行政が乗っかるに相応しい言葉なのか、
いろいろと突っ込みたいところがあるのは百万歩ゆずったとして、
ならばなんで48枚にしなかったのか。
そのほうが画像の無断使用のチェックも行き届いただろうに。

今回の件は“盛岡ブランド”とのことで、盛岡という町をブランディング、
という思考回路なんでしょうが、このポスターでそれができるのか。

100種類もポスターを作らなきゃ盛岡の魅力は伝わらないのか。
それほど膨大な量の制作物を、きちんとしたレベルで作るのに、時間が足りるのか。
足りないなら手を増やすか、いっそ公募したほうが多様性があっていいのではないか。

考えられることは多々あるのですが、ちゃんと考えたのか。
結果を見れば、とてもそうとは思えない、と言わざるを得ません。
考えた結果がアレだというなら、それはそれで困ったものですが。

“1枚1枚の品質を下げてでもポスターを100種類用意する”という企画が、
行政側・請負業者側・コンサル、どの立場から出たものかわかりませんが、
誰もおかしいと思わなかったのか。
(当事者たちは、品質を下げたとは思ってないんでしょうが。)

つまり、写真の使われ方から発した疑問ですが、なんのためにやってることか、
企画の意義自体が疑問になった、ということなんです。
もう一度念のため、個々の写真の上手下手はまったく別の話ですよ。

最近いろいろうるさい某国立施設の問題も同様ですが、
いちばん最初の条件設定がおかしくないかどうかを
考えるべき人が考えていない、というのは大きな問題だと思います。

“町のイメージアップ”という考え方自体も個人的には好きではなく、
“町のブランディング”などという言葉には反射的に嫌気がさすのですが、
これは私の私見なので誰に押しつける気もありません。

無数の人が集まって生きる場のイメージなんか、一部の人間が好き放題に
コントロールできるものではない、作用を少し加える程度が人間にできる
唯一のことだ、と思っていますが、建築に携わる人間のポジショントークと
言われてしまえばそれまで、あくまで私見です。

しかし、この町がどんな歴史を歩んできて、
外部から客観的にどう見られていて、
いま何が必要で、あるいは何をしたくて、
それは現実的な望みなのかどうか、
非現実的ならばできる範囲はどこまでなのか、
ということをきちんと考えるのは、
なにかの行動を起こす時に一番重要なことではないでしょうか。

主語を「この町」ではなく、個人・企業・事業・企画に置き換えても同じことです。
設計をするとき、施主自身とその家族をよく知ることなく先へは進めません。

私が家を設計するとき、初めて聞き取りしたあと、2回目の打ち合わせで
プランを出すことを要求されてもお断りしています。
ろくに相手を知りもしないで、なにを設計できるというのか。

とりとめもなく広がりがちな与条件を整理し、核心を見抜いて取り上げ、
核心を形にするに相応しい手段を選び、製作し成果物を完成させる。
その一連のプロセス全体で、常に思考し続けることが、
【デザイン】という言葉のほんとうの意味です。
見た目をいじることがデザインではない。
それにはとてもたくさんの時間と思考が要ります。

その意味で、今回のこの盛岡ブランドポスターは、デザインできていない。
Adobe社のIllustratorというソフトを使ってA2判のデータを作るだけならば、
デザイナーではなくオペレーターの仕事です。

建築の設計は、まぎれもなくデザインする仕事です。
相手があって初めて成立する仕事である以上、相手をより深く知ることは
デザインする仕事には絶対に必要なことです。
私はそう思って、いつも仕事をしています。

最後に。
私は盛岡がとても好きです。
有名な古都ほどではないけれど古いものがよく残って雰囲気があり、
町の真ん中には川が流れ、静かな空気感があってこぢんまりしている。

長い年月と、何代にもわたる人々の意思が、この空気を作ったのだと思います。
誰かが、あるとき思いたってパパッと作った、という町ではないはずです。

郊外やロードサイドは、どこにでもある地方都市になりつつありますが、
中心街がうまく残ってくれるといいな、と思っています。