2016/10/17

甲斐へ

所用があって、甲府市へ行って参りました。

私たち世代の男の子はほとんどが知っているであろう、
コーエーの「信長の野望」にまんまとはまったクチである私には、
甲斐・信濃はあこがれの強い土地です。

とはいえ遊びに行ったわけでもないので、
車ではきつかった…次は電車かな。















途中で通った勝沼では、ぶどうの産直が国道沿いに数珠つながり。
駐車場にパーゴラをかけて、そこが葡萄棚なんです、どこもみんな。
















こんな具合で葡萄天井!
パーゴラはもともと、イタリアの葡萄棚の呼称ですから、
遠く山梨で本卦がえりした、というところでしょうか。
良い香りのする道中でした。

帰り際には、立ち寄ったとも言えない時間でしたが
武田神社へ!












所在地も古府中、躑躅ヶ崎館の跡地に建ち、祭神は武田信玄。
もう、中井貴一の声が聞こえそうです。
「兵部、我に詫びよ!」

本当にちょこっと寄っただけだったんですが、
帰りに参道をまっすぐ南へ降りたら、1キロほど離れたところに
飯富兵部の屋敷跡が!

飯富虎昌(おぶ・とらまさ)、通称「兵部(ひょうぶ)」。
いま放送中であろう大河ドラマの主人公・真田信繁で有名な
「赤備え」は、配下全員が赤色の甲冑で統一した部隊のことで、
個人が赤備えにするのは例があっても、家中一同というのは珍しく、
飯富兵部が創始した、と言われています。

鮮やかな赤の武装は戦場でとても目立ち、当然、
敵の的にもされるわけで、勇気と戦力の精強さに
自信がなければできない真似です。

家中随一の宿老、戦場では常に最前線に立ったという
飯富兵部ですから、館も当然、敵が攻めてくることがあれば
最前線になる場所に構えている。そんなことを思うだけで恍惚とします。
児玉清の姿を思い出しつつ通過。

そういえば、信玄の寵童でもあったという説のある
高坂昌信の屋敷は、武田神社のすぐそばにありました。
なるほどー。

高坂昌信、通称「弾正(だんじょう)」。
農民の出身だったといわれ、政戦両略の才覚があり、
大河ドラマでは四天王などと称されていました。
村上弘明が颯爽としていたなあ…(以下略)

神社では軍配型のお守りなども売られていて、
これは信玄が川中島の戦いで上杉謙信に斬りつけられた際に(以下略)

あっ、そういえ(略)

甲府盆地は雲が垂れ込めて、甲信らしい風景でした。
滞在24時間に満たない強行軍でしたが、
妄想全開の道中でした。